追悼式は自己アピールの場ではない―― 菅原彩加さんの被災スピーチに感じる違和感と背後に垣間見る震災利権の闇〔2〕 - 死人に口なし ~3.11東日本大震災の真実を求めて~

追悼式は自己アピールの場ではない―― 菅原彩加さんの被災スピーチに感じる違和感と背後に垣間見る震災利権の闇〔2〕

追悼式での菅原彩加さんのスピーチを聴いて、まずこう思った人はきっと多いことだろう。
菅原彩加さん追悼式-2
「親だったら普通そこは“行かないで”じゃなくて、子供だけでも“先に逃げろ”って言うだろ」
「母親を置いて一人逃げざるを得なかったあまりにも壮絶な体験を経て、その罪の意識を乗り越えて生きている強い娘だな」
と……

けれど、そもそも「追悼式」というものはいったい誰の為のものなのか――

本来、追悼の場での言葉、哀悼の意というものは、あくまで亡くなった者の魂に対して発するものであって、生きている側の人間が、私はあーだったこーだったと、自身の意思表明やアピールをする主旨のものではないはずだ。

彼女が過去何度か受けてきたであろうインタビューや、フォーラム等の場でのスピーチとはわけが違うのだ。

菅原彩加さんの件は、メディアの取り上げ方も、スピーチに感動したと絶賛する人達も、そこを大きく履き違えているように私には思えてならない。
彼女を特別な、勇気ある悲劇のヒロインのように持ち上げるのは何か違うんじゃないだろか。

しかしというかやはりというか……

当初絶賛の嵐だった菅原彩加さんのあの場でのスピーチは、後に一転してネットでの炎上騒動へと発展して行く。

菅原彩加さん未成年飲酒疑惑被災して家族をも失い、とても辛い思いをした人をいたわり援助するということは大事なことだし、私自身もまた、日本全国、世界各国の方々の支援に支えられ助けられてきた部分はとてもとても大きい。
それが、まだ小中学生の子供なら尚更のことだ。

けれどそれは、被災者だから甘やかす、被災者だから特別扱いするということとは違う――
そこは明確に区別して考えなくてはならないと、私は自戒の念も込めて思うようにしている。


菅原彩加さん、ふぁぼり過ぎそもそも母親を置いて逃げたエピソードが何故美談として持ち上げられるのか私は個人的に疑問なのだけれど、それはあくまで感情論であって、この問題の本質はそういったところにはない。

ネット上での炎上騒動へと発展したのは、彼女自身のTwitterアカウント(※現在はアカウントごと削除されている)が注目されたことにより、過去の様々な素業が露呈して未成年飲酒疑惑までも出てきたり、
(私もTwitterで、彼女が追悼式を終えた直後から自分を賞賛するツイートや記事を自らRTしまくってたり、片っ端からお気に入りに入れまくっているのを見た時は、正直ドン引きしてしまったが…)
何より、過去に彼女自身が数々の場で語った被災体験と、今回の追悼式の場で語った被災エピソードに大きな食い違いがあることが判明したことが大きい。

そして続々と明らかになって行く彼女の発言の矛盾、支援団体や資金の流れの謎の数々――

次回は、そういった部分をより深く掘り下げて行きたいと思う。




<スポンサードリンク>


にほんブログ村 その他生活ブログ 東日本大震災・震災復興へ

■震災時の個人的な体験記等を綴っています⇒永遠のパズル -Amebaブログ-
コメント
非公開コメント

トラックバック
 
Copyright © 死人に口なし ~3.11東日本大震災の真実を求めて~ All Rights Reserved.