「そっちもみんな不幸になってくれたらなー」
どの関連動画、どこの検索エンジン、どこのリンクからどれぐらいのアクセスがあったのか、視聴者の年齢層・男女比・国籍(※これはYouTubeにアカウントを持っている人でログインしている状態で観ている人のみのデータだが)等、こちらが怖くなるぐらいの詳細なデータである。
しかしブログのアクセス解析等と同じく、これも直リンクでなければリンク元はカウントされず、2ch等ではこういったアクセス解析を避ける為、故意に"h"等先頭の一部を抜いてURLを貼る手法が昔から定着している。
こうすれば飛んだ先の側ではアクセス解析を見てもリンク元が判らない。
通常のブラウザではアドレスバーにURLをコピペしなければならないが、2ch専用ブラウザやスマホアプリからは直接そのページへ飛べたりもする。
全く予期せぬ時にアクセスが急増した【R-18】東日本大震災の「真実」2012-2013【宮城:石巻周辺】Prologueが結局どこからリンクされているのか判らなかったのも、きっとこのパターンでリンクを貼られた為だと推測している。
……とまぁ、いろいろと余談を書いてしまったが、知らぬ間に予想していた以上にコメント欄が非難の声で埋まっていた【R-18】東日本大震災の「真実」2012-2013【宮城:石巻周辺】Prologue。
自分で半ばこうなる事を狙ってアップしておきながら、意図せぬ時にその反応が一気にやって来て、不意討ち的に精神的ダメージを受けてしまったのは前回の記事に書いた通りである。
この動画は、自分自身の言葉以外に、様々な被災地・他地域の人々の言葉を織り交ぜ、相反する意見は縦と横に重なり合うように言葉を表示する手法を使って作っている。
あくまで「序章/予告編」として、ダイジェスト的に様々な人の発言を部分部分のみ切り取って使っている。
しかしその事が、自分でも予想外の誤解を招いてしまった。
動画中で一部引用した、震災後、様々なサイトに貼られていたコピペが私自身の言葉だと思われたのは想定外だった。
コメント欄で「あなたみたいな人が日本にいたなんて!」等と特に非難轟々だったのは、以下の文章からの一部引用部分である。
震災後、2chや所謂“復興ソング”的扱いだった曲のアマゾンレビュー等に貼られたコピペである。
-以下全文引用-
頑張ろう、頑張ろうって言うけど、
家が流されたんだよ?
と、福島のまさ兄に電話したら、言われました。
おまえ、ちゃんと分かってるの?
超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、
あの帰る家がね、全部流されたんだよ。
俺、もう、家ないの。
明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。
今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、
全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。
おまえ、家ないのに頑張れる?
服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。
よし、頑張ろう!って思える?
すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。
ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。
いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。
仕事もあるじゃんって。
おれ、船、なくなったんだぞって。
多分、漁師はもうできないと思ってる。
もう、なーーーんもない。
どう考えたら、今、頑張れるんだよ。
ちょっとでも頑張れる何かが、今、俺たちにあるのか?
「いや、今はこっちで頑張るから、おまえらは1年ハワイでゆっくりしてきな」
とか言われたい。
「おまえらが帰ってくるまでに片づけとくから。家も建てとくから」
とか言われたい。そしたら、俺だって頑張るよ。
毎晩、うなされるし、夜いつまでも眠れない。
流された人を何人も見た。
顔見知りも流された。
その頭にある映像を何回も思い出す。
そのたび、津波がこうくるって分かってたら、あの人を助けられたかも、とか。
時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに寄ってあげたかった、とか。
1人でも助けて英雄みたくなったら、まだやる気が起きたかな、とか。
俺、1人で逃げてきたわけ。
誰も助けなかった。おばちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。重そうなもの持ってる人とかもいたのに。
もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。
4日目にやっと町に行っていいと言われて、
どっから手をつけていいかわからないどころか、
いっそもう何もしたくなくなるような町だった場所を見て、
ここを復興だなんて、微塵も思えない。今も。
蓋をしたい。見たくない。
町を見ると、死にたくなる。
自分の人生は、もう終わったなって思うよ。
こっからは、もう、どう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、
家だって、もう、二度と持てる気がしない。
何も希望なんかないよ。
そんな俺たちがさ、避難所で、CMでアイドルや俳優を見てさ、
「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、
ああ、あの世界は自分たちとは、もう全然違ってしまったんだと思う。
家がある人の言葉だなーと。安定してるなーと。
そんなCMとかして充実もしてんだろうなーと。
家が流されてなくてさ、帰る場所があって、仕事があって、
地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、お洒落な服で、こっち見て何か言ってるな、と。
おまえに言われたくないと。ほんとに。何も言わないでほしい。
大丈夫なわけがない。
おまえらに大丈夫だよ、とか言われても、大丈夫なわけがない。
どう見たら、この状況が大丈夫になるのか、胸倉つかんで聞いてやりたい。
でも、怒る元気もない。やる気もない。
ボランティアや取材のやつらも来て、色々写真とか撮って、
「実際みると、テレビとかとは全然違いますね」とか言ってて、
数日たったら「元気出して頑張って!」とか言って、
自分たちの家に帰っていく。
正直、復興なんてクソ喰らえだと思うよ。
「何か、できることある?」
何を言っていいか分からなくなり、まさ兄に泣きながら聞いたら、
「正直、不幸になってくれたら嬉しい」
と言われた。
「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、
俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」
と言われた。
「俺たちを想って歌とか作られても今は不愉快だから、
東京も全部流されて、それでも「頑張ろう」って言われたら、
頑張るよ。その人の歌なら聴く。
知らないやつに、馬鹿みたいに「頑張って」とか「大丈夫」とか言われると、
今は正直、消えてほしくなるよ。
募金は嬉しいよ。でも、ボランティアじゃなくて、ビジネスで、仕事として、
町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。
正直、ボランティアに「ありがとう」とか言うのも苦痛。」と、、、、
わりかし多めの所で見かけたコピペなので、まさか自分の言葉と思われるとは予想していなかった私が甘かった…。
(『頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない』というタイトルで、はてラボに書かれた記事が元になっていることを私が知ったのは実はつい最近である)
視聴者は皆が皆2chや自分がよく行くサイトを見ているわけではないのだから、この作り方では誤解を受けても仕方がない。
しかし私自身、少なからずこの文章に共感する部分があったからこそ、動画内で引用したのもまた事実である。
これ程まで包み隠さず本音の部分がストレートに書かれた文章を他に目にしていなかったし、当時のいち被災民としての心情が実に的確に表現されていると思ったからだ。
過去記事やアメブロの方に書いているように、私は3月11日午後から14日夜まで津波被害を受けなかった仙台駅至近にいたので、震災当日の最も凄惨で最悪であった事態は体験していないし見ていない。
しかしそんな私ですらも、石巻圏へ帰還してからの日々は「ここは本当に日本なのか?」「これが今まで自分が生活していた街と本当に同じ場所なのか?」と錯覚してしまう程にすべてが変わり果てていた。
同じ県内でも津波被害を免れ、真っ先にライフラインや交通の復旧が始まった仙台中心部と比較してすらも、何もかもが違っていた。
いつ元に戻るかすら分からない突然原始時代にタイムスリップしたような日々に、
正直、何故ここ(東北太平洋沿岸部)だけこんな目に遭わなくちゃいけないのだ……
せめて他地域も同じ被害だったならば少しは頑張る気力が強まったであろうか?
……なんて想いがつい湧き上がってしまう心境だった。
同じ日本でも、
他地域とは「住む世界が全く変わってしまった」。
その感覚は私も当時痛い程実感したからだ。
約一年のブランクを経て後に制作した本編の第一章である【R-18】東日本大震災の「真実」2013【宮城:石巻周辺】 Episode-1 回想の中で私は、これが広く出回ったコピペからの引用であることを明かした上で、
「この人も現実に今生きているとしたら、心情も当時とはかなり変わっていると思うし、助けてくれた多くの人々に感謝していることだろうと思う」。
と述べた。
私がこう言ったのには複数の理由がある。
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